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自由
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生きていたくない。 「じゃあ死ねば?」 ドヤ顔でそう言い放つ人間は心底思慮が浅いのだと思う。頭のいい友人がそういったのを聞いて、思わずまじまじと顔を見つめてしまったのを思い出した。 生きることと死ぬこと。紙一重のように思われるがその間にはグラデーションがある。そのどちらにも正面から向き合うことのない人限は意外と多いのだろうか。生きていたくない、と死にたい、は別物だ。生きていたくない、は生の否定、つまり今いる立ち位置から現在ないし過去を振り返りながら言う言葉だ。ここでの未来は想像にすぎない。過去を振り返り、これから先のろくでもない未来をチラ見して目をそらし、悲観して言う言葉。 一方死にたいは、ただ自分の足元を見て言う言葉だ。未来でも過去でもない、あと一歩動けばガラガラと崩れて谷底へ落ちていく、そんな瞬間的な言葉。 他にも生と死の間のグラデーションに立つ言葉はある。それらの状態を一括してまとめて死に差し向かわせようとする者は、本当に何を見て何を考えて生きてるんだろう?そんなふうに何も考えないことは、生の肯定だとも思えない。動物はそれでも良いだろう。でも人間はもっと考えるべきじゃないか? まあでも考えない人間がこの世の大多数なんだろうな。今日まで連綿と命を繋いできた過去の人間もそうなのかもしれない。そんな愚かな歴史を私たちは生かされているのかもしれない。
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去年は、京都の友達からもらったマドレーヌを祖母が勝手に食べるという最悪な日だったの思い出した。その日は朝から祖父にグチグチ言われて機嫌が悪くてめちゃくちゃ荒れた。怒って泣いてみっともないくらい喚いたのを覚えてる。京都に行かないと手に入らないし友達から貰ったから余計に大切なマドレーヌを断りもなく勝手に食べたのが本当に許せなかった。それだけの事と笑われるかもしれないけど、仕事に行けなくなって休職してまだ1ヶ月しか経ってなくて精神的にまだ不安定すぎた時期だから許してほしい。のに、祖父にはそれくらいの事で怒るな祖母は病気なんだから仕方ないと言われ余計に腹が立った。私だって病気だよ!苦しんでるのは私の方だろーが!***は人に迷惑かけるだけかけて全く気にしてねぇじゃん!ナンデあっちばっか庇うの?!少しは私の事心配してよ!って思った。苦しかった。全部私のせいにされるのが余計許せなかった。それなのに人のもの勝手に食べたくせにそのことを忘れて、祖母はなんで私が怒ってるのかも理解してないくせに、謝ってきてさらに腹が立った。『おばあちゃんがなにかしちゃったみたい。ごめんね?』って言われてプツンと何かが切れたのを思い出す。なんで怒ってるのかもわかってないくせに謝られるのが心底嫌だった。何のことで謝ってるのかわかってないくせに謝るな!ムカつく!とはっきり言ったのを覚えてる。私のマドレーヌ勝手に食べやがって!って言ったら食べてない!って逆ギレされたのも。泣かれたのも。泣きたいのはこっちだし怒りたいのはこっちなのに、祖父に泣いて縋って結局私が悪いことにされて。いつまでそんなことで怒ってるんだ許してやれとまで言われた。それ以降私は心の底から祖母のことが嫌いになった。本当に憎い。一緒に居るだけで腹が立つ。
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