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自由
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家に帰ってお風呂もご飯も終わって仕事モードが抜けると泣いてしまうの、もう3週間が経つ。プライベートの時間が苦痛なのは何ヶ月も前からだけど、全く同じひとつのことで泣き続けるのは人生で初めてだ。寝る前に泣いちゃうから鼻が詰まって呼吸が苦しい状態で寝ないといけない。 自分の場合は仕事じゃなくてプライベートがストレス。プライベート空間で安心できる場所がなかなか見つからない。外に出ると誰かに何か嫌なことをされるかもしれないし、家は「自分の家」って感じがしなくてずっとホテルに暮らしてるみたいな感覚。 家族も友人もいるけど、みんなの前でそれぞれのペースに合わせないといけないのがつらい。落ち込んでる日でも楽しい顔をしたり、逆に楽しい時でも相手の悩みを聞いて落ち込んでる顔をしたり、なんだかチグハグしてる。 もう何年も前に亡くなってしまった知り合いと一緒にいたときは、自分の感情を取り繕わないで心から笑ったり、泣いたりできた。 今は前の職場の上司といるときだったら、無理をしてない感じがするけれど、頻繁に会うような相手でもないし もっと年齢が近くて、心の距離を縮めても不自然じゃない相手の前で、自分らしく振る舞ってみたい。でも、そういう相手が見つからない。マッチングアプリでもコミュニティのイベントでも数百人と会ってきたのに、誰ひとり心を開けなかった。 今は、ただ1人しかいない「安心できる他人」の元上司にばかり気持ちが依存していて、いつか離れてしまうのが怖くて仕方ない。毎日毎日、それで泣き続けている。 最近よく、亡き知人のことがフラッシュバックしてるから、「人との別れ」に敏感になってて、ずっと周囲の人との別れのことばかり考えてしまう。苦しい。 それを忘れられるのは仕事をしてる時間と、社員証を持って出かけている通勤時間だけ。「自分は〇〇の社員だ」という自覚が、プライベートの無駄な思考と脳を切り離してくれる。 働いてる時間のほうが気が紛れてホッとする。それだけで恵まれてるのかもしれない。
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絶望の底にいたとき、母にもう生きていたくない、殺してくれと頼んだ。最期の頼みだった。母は何であたしが殺さなあかんねん、と拒んだ。驚いた。私が小さいときはしょっちゅう喉元に刃物を突きつけて脅したくせに、いざとなれば殺す覚悟は無いのか。殺す覚悟もなく命を生み出すことはできたのか。馬鹿は何の考えもなくポンポン命を生む。存在しないことが、この肉体に囚われずにいる状態のほうが遥かに良いのに。生きることにも死ぬことにも向き合ったことのない女が愚かにも股を開きグロテスクな命を産み出す。今生きる人間は被害者だ。技術的には苦痛なく死に至らしめることがいくらでも可能なのに、苦痛と失敗してさらに生きづらくなるリスクを伴う自殺しか途中でこの命を放棄することのできない世界。生まれて来たくもなかったこの世に生まれ、生きることに縛り付けられ、せめてもの慰めに泡沫のような娯楽を追いかけるも社会に搾取され、最期には苦痛を伴い死ぬこの世に、なんで苦しむ人間を増やそうと思うのだろう。自分の子供が、「生まれてきたくなかった」と言うことを想像しないんだろうか。馬鹿はまだ66万人もいるようだが着実に被害者が減っていることを寿ぎたい。私も早くこの肉体を離れて無に帰したい。子孫を残すことが本能としてプログラムされているとしても、それに抗い幸せとは何か、人間として生きることとは何かを再定義すべきだ。それこそが地球の管理者たる人間として最終的に目指すべき在り方だと思うから。