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#おすすめ本
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始まりのズレ 4歳当時、父と入浴していた。 一緒にお風呂からあがったものの、 「私」は先にリビングに向かった。 リビングには等身大を写す鏡。 タオル1枚で裸で母のもとへかけよる途中 それは映った。 「これいやだ。ちがう。なんで?なんであるの?びょうきかな。」 考えるより先に身体全体で実感した 「ズレ」。 この目で見ているのは、「私」の身体なはず。 息をするのと、食事をするのと同じように 実感した違和感に 違和感がなかった。 違う人の身体を見ている。 同時に、なにか似合わない服を 着せられているような。 ひとりで本や図鑑を見ている時間が好きだったことは憶えている。 それは、真似しなくて良いから。 「私」でいられたから。 だがしかし、幼稚園の先生は善意なのだろう。 「男の子なんだから、あっち(男の子達)と遊びなさい」と誘導した。 「私」はそれに従った。 怒られたくなかったから。 男の子達と遊ぶのも怖かった。 戦隊もの、仮面ライダー、ボール遊び等々 戦いを模したり勢いがあったりといったものが、とにかく荒々しく、怪我をしそう、 その雰囲気。 なにもかもが好かなかった。 ただ、そのなかで「ふみや君」は違った。 わたしが図鑑を読んでいたり、1人でブロック遊びをしていると、無理やり男の子達の輪の中に「私」を連れていくのではなく、「私」に合わせてくれた。 相席してくれたバス。 それでいて、他の子達を拒絶するのではなく 周りを見て適した接し方をしていた。 今思えば末恐ろしい子。 そんな「ふみや君」を好きだった。 自覚していた。 それは友達としての好きではないことを。 「一緒に遊びたい」 ではなく 「ずっと一緒にいたい」 「手をつなぎたい」 「キスをしたい」 そんな想いが強かった。 でも、周りの子達には「それ」をしている子はいなかった。 女の子が男の子に対してはあっても 男の子が男の子に対してはなかった。 怒られるのではと、怖くてできなかった。 母いわく 「私」は小さい時から自身のことよりも周りを常に気にして、周りに合わせて過ごしていた。 「私」がわがままを言ったり、駄々をこねたり、「私」からなにかお願いを聞いたことが無い、と言っていた。 元々の性格がそうであること 加えて心身のズレを実感したこと。 「私」はどう接して、どう過ごせば良いのか 分からなくなった。 物言わぬ「良い子ちゃん」になるにはうってつけだった。 かわいいぬいぐるみが大好きだった。 買い与えてもらえたそれらは、今なお家族。 「物言わぬ良い子ちゃん」が唯一したお願い。 それもあり、買い与えてもらえたのかもしれない。 母に連れられたサッカーボールクラブ見学。 その危なっかしい雰囲気がとにかく怖くて おもいっきり泣いた。 まわりの女の子達がしている格好や所作、遊び 「私」が「こうしなさい」と言われ、やっていた、やらされていた格好や所作遊び それらが大きく解離していたことに 大きなショックを受けた。 「私」は 女の子だけど、女の子と同じにしちゃいけない。 女の子がやることをやってはいけない。 男の子がやることをやらないといけない。 怒られないために 自身を守るために それをしていた 結果、わたしは どう生きるべきか どう在るべきか 分からなくなった。 そして生きるには 「斉藤 拓図」を演じなければならない そう実感した。 「私」は、「斉藤 拓図」に守られている。 そして交わることを知らない。 ふとした瞬間に顔を見せる 身体と意識のズレ 地獄はしっかりと、輪郭を形成し始めた。
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