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#他者貢献 #協力 #バイト
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劣等感、自分は駄目だという思い込みという世界の病 貴方は世間から、勉強しないと招来苦労するよとか、勉強できなきゃ叱られて、努力しなさいとか言われませんでしたか? 親孝行しなさい、産まれて来たのなら親のために、人のために生きなさいとか。 だったら自分は役に立てていないから価値がないのではないかって。 仕事も立派にしなさい、根性がないから辞めるのよとか言われませんでしたか? そして、本当にそれが正しいと思い込み落ち込み自分を責めやしませんでしたか? ですが本当にその価値観合っていますか? 何をもって役に立っているといのでしょうか? 人を励ましたって、それが逆に相手に逆ギレされることもあります。 病気を治したからって、その後死んだほうが良かったと思うほど、苦しい目に合うかもわかりません。 まして、死んだあと天国や地獄があるのかさえ人は無知で知らないのです。 スピリチュアルな世界ではこう答えます。 100万人の病人を一人の医者が病気を治したとしても、結果としてそれが良いか悪いかわからない。 しかし余命僅かで迷惑しかかけていないと周りが思っていても、 ああ、この人が幸せになって欲しいな、みんなが楽に暮らせるようになったらなという心の思いが大事で、神様はそれを一番喜ばれ優秀な人物だとみなすと。 そして自然法則のように愛のある人は天国に帰りない人は、下に落ちていきます。誰かが落とすのではない。自然法則なのです。
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自分を愛するということは、相手を愛するということ。 例えば世間で言われている優しい人が、自分に自信を無くし、悲観に暮れていることがあります。 しかしハッキリ言わなければなりません。 勉強ができる人より、出来ない人の方が幸いです。 できない人の気持ちが分かるから。 仕事が出来る人より、出来ない人の方が幸いです。 できない人の気持ちが分かるから。 この世で生きる目的は数々の人や生命の気持ちを理解し優しくなることだからです。 どんな人に気持ちが分からない大社長より、大統領、総理大臣より、科学者、医者、宗教者より、優しいホームレスの方が幸いです。優秀です。 死んであの世に持っていけるのは自分の人格だけです。 自分に優しく100点をつけ、どんな時でも自分自身を裁かず、愛することが出来れば、それを相手にもすることができるようになります。 亡くなって真に幸福を手にするのは自分にも相手にも優しい人だけです。 人の幸せを心から祈らず、100万人助けても1人も助けたことにはなりません。 逆に死ぬ寸前で、呼吸しか出来なく他人に迷惑しかかけていないように見えても、その人が自分を愛し他人の幸せを祈っているのなら、100万人助けた人より遥かに優れた世界に帰ります。 摂理、法則は誤魔化せません。 助けた人数ではなく助けようとした思いが、全てです。 自分自身を愛する。好きになる。無条件に。休む。
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#美容
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#うつ病
うつ病に24歳の時なりました。 姉が過去にうつ病になった姿を見ていたので、躊躇せず心療内科へ行きました。 自分ができない人間なわけでも、根っからネガティブな人間なわけでもなく、これは脳の病気になってしまったのだと、割り切れる自分がいました。 3年ほど、向精神薬で治療しました。 何度も、人生の時間を止めてしまったと、嘆いたような気持ちになりました。 それでも、キャパオーバーになるまで働かせてきた脳をゆっくり休ませることは、何より大切なことでした。 少しずつ少しずつ、その時の自分にできることを増やしていき、焦らず、これで良い大丈夫だと自分に声を掛けながら。 乗り越えた今だからこそ言えること。 それは、苦しいと思うことを経て人は強くなるしやさしくなるということ。 傷ついて辛い目にあった人は、人の痛みに気づいてあげられます。 そして、うつ病になるということは、それだけ頑張ってきたということなんです。自分のことだけじゃなくて、人のことも考えながら、ずっと一生懸命だったんです。 何も止まっちゃいません、停滞もしていません、ちゃんと前に進んでいます。前進しています。 自分のペースで、自分がまた「よし!」とスタートするときを楽しみに、待ちましょう。
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私の人生 高校1年の冬から、22歳前後まで、強烈な胸の不快感と漠然とした不安にさいなまれる。 毎日を這いつくばるようにギリギリのところで生きていた。 体が動かなくなり、あまりの憂鬱に起き上がれなくなった時もあった。 言っていた船乗りの大学も、先生の暴言や辛に傷つき中退。 自分ってダメでどんだけ根性がないんだと 自分を責めた。 孤独で1人ぽつんと考え事をして泣いていた。 精神科、心療内科に通っても全く治らず、死を覚悟した。 その時、あるサイトでスピリチュアルな内容を広めている人を目にする。 その方は論理的で極めてわかりやすく、論理的証拠を持って、生きる意味や愛について、人のために幸せのために生きることの重要性を教えてくれた。 そこから臨死体験の研究や色んな本を読み、共通点があることがわかり、より正しいことを確信する。 人生にとっていかに思いやりや愛情、優しさが大事であるかを。 それから精神科の偉大な先生に愛について語り合う時間があり、その先生と会うのが毎回楽しみで、診療時間の待合室でいつもみんなの幸せを祈っていた。 ここにいる人はみんな辛い思いをしています。 少しでも楽になりますようにと。 それからずっとボランティアでカウンセリングをしながらえ人によりそうことをつずけた。 しかし、その偉大な先生も癌で仕事を辞め、私は再び症状が悪化した。 胸が苦しく、手がピリピリし、気が狂うような辛さの中頑張っていた、そして耳鼻科に行った時、死ぬことを覚悟してみんなが幸せであるようにと最後の祈りと思って捧げた。 耳鼻科の診察室に入った瞬間、ぎゃあああああああと叫び声を上げ意識を失った。 きずけば、点滴を打っていた。 しばらくして、たまたま良い精神科の先生に出会いその先生と再び愛について語っている。 今までお世話になった人に、病院に感謝の手紙ともっと褒めあって生きるべきという励ましの手紙を送った。 人の苦しみと向き合い、地獄のような苦しみの中、どこに行けば良いかもわからず自己嫌悪に悩んだ日々。 そんな中生きる意味を数年かけて徹底的に調べ納得するように生きるようになったこと。 愛する先生方、家族、自然、全てに本当に言いたい。 ありがとう😊