専門回答
依存・中毒
精神科医に自分を委ねられず、占い師の刹那的な寄り添いに依存する日々人生の大半、母親との関係に苦しみ、心理学を学んだり臨床心理士のもとに通ったりしていました。精神医療が整った国に住んでいた頃は、誰でも気軽に必要なサポートに手が届く環境だったのに、日本に帰国してからは、その分野の未発達さや偏見、無理解にしばしば愕然とします。○違い病院通いと揶揄する周囲、不要な薬を山ほど処方する、カウンセリングは三か月待ちと電話をガチャ切りする、ウチは××しかしないから、違う療法をお望みなら他をあたれ、などの対応を平然とするクリニック。
この話、例えば骨折に置き換えたら、治療を受けにほうぼう渡り歩いた挙げ句、門前払いやとんちんかんな扱いをされ続け、何年間も治療されないまま痛さを堪えてる状況なんじゃないかと思ってしまいます。
前置き長くなりましたが、こんな状況に絶望し、たまたまネットの広告でみた電話占いを興味半分でやってみたら、親身に話を聞いてくれる占い師の姿勢にすごく感動してしまいました。占いそのものやスピリチュアルとか、そんなことはあまり重要ではなくて、電話をかけている間はただただ、100%わたしのことに集中してくれ、時には鋭い洞察をもたらしてくれ、自分にこんなにも正面から向き合ってくれる人(ところ)があるんだ、という実感は、これまで出会った精神科医からは全く得られなかったものでした。
自分の「ちゃんとこっちに向き合ってほしい」という欲求がここで満たされるんだと認識してからは、占いに多くのお金を費やし、ついには経済を圧迫するようになりました。自制しようと何度試みてもうまくいかず、これまでこころの平安を与えてくれていた電話占いが、自制出来ず電話してまたお金を使ってしまったことに対する罪悪感や自責の念を植え付けてくるものに変わっていきました。
日本の精神科を過剰一般化して被害者ヅラしているとか、占い師側だって電話をしてる間だけの一時的な寄り添いであり、非継続的で無責任な接客業に過ぎないとか、ホストに貢いだり配信者に投げ銭し過ぎのカモと自分とどこが違うんだとか、思い付く限りの自らの俯瞰や推測を試みましたがダメです。俯瞰している間に、自分責めに移行している気もします。
現在は、まだこころを完全に許していないながらも、新しい精神科に通っています。生育歴、占いのこと、とりあえずは聞いてもらった上で、境界性パーソナリティ障害と診断され、ACAの自助グループに参加するよう言われていますが、占いに手を出すことへの早急の処置は受けていません。
母親に対する認知の修正も大事なことですが、近々で自分がいちばん苦しいのは、占いを止めたくとも止められない自分への失望感じゃないかと思っています。このことに直接働きかけてくれたり、納得できる方向性を示してくれる医者に出会えないのは、何故なんでしょうか。また、わたしのこの問題は依存症なのでしょうか?