お話の詳細
依存・中毒
コーヒー豆_レベル._アイコン.いぶりがっこ
5ヶ月前
精神科医に自分を委ねられず、占い師の刹那的な寄り添いに依存する日々
人生の大半、母親との関係に苦しみ、心理学を学んだり臨床心理士のもとに通ったりしていました。精神医療が整った国に住んでいた頃は、誰でも気軽に必要なサポートに手が届く環境だったのに、日本に帰国してからは、その分野の未発達さや偏見、無理解にしばしば愕然とします。○違い病院通いと揶揄する周囲、不要な薬を山ほど処方する、カウンセリングは三か月待ちと電話をガチャ切りする、ウチは××しかしないから、違う療法をお望みなら他をあたれ、などの対応を平然とするクリニック。 この話、例えば骨折に置き換えたら、治療を受けにほうぼう渡り歩いた挙げ句、門前払いやとんちんかんな扱いをされ続け、何年間も治療されないまま痛さを堪えてる状況なんじゃないかと思ってしまいます。 前置き長くなりましたが、こんな状況に絶望し、たまたまネットの広告でみた電話占いを興味半分でやってみたら、親身に話を聞いてくれる占い師の姿勢にすごく感動してしまいました。占いそのものやスピリチュアルとか、そんなことはあまり重要ではなくて、電話をかけている間はただただ、100%わたしのことに集中してくれ、時には鋭い洞察をもたらしてくれ、自分にこんなにも正面から向き合ってくれる人(ところ)があるんだ、という実感は、これまで出会った精神科医からは全く得られなかったものでした。 自分の「ちゃんとこっちに向き合ってほしい」という欲求がここで満たされるんだと認識してからは、占いに多くのお金を費やし、ついには経済を圧迫するようになりました。自制しようと何度試みてもうまくいかず、これまでこころの平安を与えてくれていた電話占いが、自制出来ず電話してまたお金を使ってしまったことに対する罪悪感や自責の念を植え付けてくるものに変わっていきました。 日本の精神科を過剰一般化して被害者ヅラしているとか、占い師側だって電話をしてる間だけの一時的な寄り添いであり、非継続的で無責任な接客業に過ぎないとか、ホストに貢いだり配信者に投げ銭し過ぎのカモと自分とどこが違うんだとか、思い付く限りの自らの俯瞰や推測を試みましたがダメです。俯瞰している間に、自分責めに移行している気もします。 現在は、まだこころを完全に許していないながらも、新しい精神科に通っています。生育歴、占いのこと、とりあえずは聞いてもらった上で、境界性パーソナリティ障害と診断され、ACAの自助グループに参加するよう言われていますが、占いに手を出すことへの早急の処置は受けていません。 母親に対する認知の修正も大事なことですが、近々で自分がいちばん苦しいのは、占いを止めたくとも止められない自分への失望感じゃないかと思っています。このことに直接働きかけてくれたり、納得できる方向性を示してくれる医者に出会えないのは、何故なんでしょうか。また、わたしのこの問題は依存症なのでしょうか?
境界性パーソナリティ障害AC中毒_執着
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専門家プロフィール
滝 真樹子 さんの専門回答
5ヶ月前
答えになるかは分かりませんが
#中毒 #不安 #精神科
いぶりがっこさん、こんにちは。臨床心理士・公認心理師の滝と申します。精神科医療分野で働く者として今回の投稿には、大変身につまされる思いでした。難しい問題ですが、私なりの考えを少しお伝えできたら良いかなと思います。お時間のある時に、軽く目を通して頂ければ幸いです。
[今回の悩み]
ご家族との関係に苦しみ、カウンセリングや精神科の診察をいくつか受けてこられたという、いぶりがっこさん。精神医療の分野が発達している国に比べ、日本では環境も整っておらず、無理解や偏見を受けることも多いという状況に、絶望する気持ちがあるようです。そんな中、たまたま見つけた電話占いで自分に正面に向き合ってくれる人と出会い、自制できずにお金を使い過ぎてしまうようになったのですね。現在は新しい精神科にも通院中で占いのことも相談しているものの、根本的な解決には至っておらず、やめられない自分に対する失望感が強くなってしまっているとのことでした。
[悩みの原因・分析]
長い間お母様との関係に苦しんでこられたいぶりがっこさんにとって、自分の話を真剣に聞き、正面から向き合ってくれる方との出会いは、とても救いに感じたことと思います。そして、これまで精神科領域でそういったカウンセラーや医師に出会う機会を持てなかったという事実には、確かに絶望する気持ちがあったかもしれません。私自身もこれまでいくつかの国でカウンセリング関連の勉強をしてきましたが、確かに日本ではまだまだ整備が整っていなかったり、偏見が根強く残っているという現状があります。いぶりがっこさんの投稿には、とても考えさせるものがありました。難しい問題ではありますが、コメントを通じ、何かいぶりがっこさんがこの問題を考えるにあたってのヒントになるようなことがあれば幸いです。
[やってみましょう!]
この仕事をしていると、たまに「カウンセリングと占いとか宗教とかって何が違うの?」と質問を受けることがあります。カウンセラーという名の様々な職種が存在する日本社会だからこそ、私達専門家は常に、その違いを明確にしていなければいけないと感じています。私自身もこの問題は人と関わる仕事をする上では切り離せないテーマだと思っていて、折に触れて考えることがあります。そして私が考えるカウンセリングと占いの違いは、カウンセリングが基本的にクライアントさんの洞察を促し、自己決定・自己成長を促していくプロセスであるのに対し、占いでは占い師さん側が答えを与えてくれるという点ではないかなと思います。宗教についても似たようなことが言えるかもしれません。やはり信仰している宗教があると、自分の悩みや葛藤に対してその宗教の教祖・神父さんが導きや答えを与えてくれ、それに従う形になることが多いのではないでしょうか。それに対しカウンセリングでは、クライアントさん自身が自分で内省を深め、そこから前に進んでいくために共に考え、カウンセラー側がクライアントさんの発言に対する解釈や、必要に応じて客観的な情報を伝えたりといった流れになります。 もちろんこれはカウンセリングの設定や種類、目的によっても異なります。教育相談や精神医療相談などの相談的要素が強い場では、より情報提供の意味合いが強くなる傾向があります。認知行動療法やソーシャルスキルトレーニング等の場面でも、比較的まとめ役のカウンセラーが導く形で進めていくことも多いかと思います。でも、自分自身の性格や過去についてじっくりと考えたり、内面の変化を目的とするような洞察的なカウンセリングでは、カウンセラーとクライアントさんが共同作業をして、自己決定を促していくための手助けをしていくというプロセスとなります。 もちろんこれは占いの方が良いとか、カウンセリングの方が優れているとか、そういうことではありません。私が考える両者の違いとして、単にそういった点が考えられるというだけです。ただ、葛藤を抱えて苦しんでいたり弱っていたりする状態だと、どうしてもすぐに答えを出してくれる、場合によっては自分の求めているような答えを与えてくれるような相手に依存してしまうというのはどうしても起こりがちです。もしかしたらいぶりがっこさんは今、とても心が弱っていて、自分に正面から向き合ってくれて寄り添ったアドバイスをしてくれる占い師さんに、気持ちが傾いている状態なのかもしれません。そこで救いが得られるのであれば、無理をしてやめる必要はありません。でも、やはりこれ以上はお金を使えないな、そろそろ卒業したいなという気持ちが出てくるようであれば、そういった自分の依存してしまう気持ち、目の前の答えにすがってしまわざるを得ない心の状態を、見つめてあげると良いかもしれません。 精神科の診察というのは、そういう意味で安易な答えを与えることで依存させることを防ぐため、常に客観性を保つように意識しているところがあります。その結果、患者さんからすると冷たく感じることがあるかもしれません。でも、そこで踏みとどまって自分で考え、自分で決定していくというプロセスを踏むことで、自分の中での長期的な変化が得られ、納得のいく選択ができるのではないでしょうか。
長文で、しかもややこしい内容のコメントになってしまい申し訳ありません。でも、いぶりがっこさんの投稿を拝見し、精神医療領域について色々な思いのある方で、とても考える力のある方のようにお見受けしましたので、ついつい語ってしまいました。もしよろしければオンラインのカウンセリングでもご一緒に考えていくことができるかと思いますので、機会があればご利用ください。いぶりがっこさんの心の苦しみが少しでも癒え、抱えている心の重荷を減らすことができますように、お祈りしております。