職場で内線電話を受けたら、自分の部署の不手際に対するクレームだったんだけど、他のクレームよりも異様に手の震えが止まらなくて次の電話にも支障が出るし、電話を受けてる間の記憶がすっぽ抜けるくらいの精神的ダメージを感じて、何が普段と違かったのか考えてみた。
おそらく一番の原因は、自分が部署内で意見して却下された提案に関するクレームだったから。もし、自分の提案が却下されていなかったら、不手際は起きていなかったので、それが悔しかった。
ただ、人間として生きていればこんなことザラにあるので、以上はそこまで大きな気づきではない。
大事なのは、このクレームを受けた後、リフレッシュのために席を立った際、小学校1年生のときの担任の顔が思い浮かんだことだった。自分はこの人によく勘違いで叱られていて、誤解をうまく説明できない悔しさと、時々発生する体罰、痛がって周囲の同級生から「大袈裟」と言われた悲しさがフラッシュバックしがちなんだけど、きっと電話の相手の言い回しが当時の担任に似ていたんだと思う。
自分の記憶の中では、電話の相手と担任の先生は見た目も似ていないし、声も全く違う。だけど、敬語(丁寧語)で詰めてくるところと、いくら説明しても意図不明な発言をしてくるところ(相手が悪いのではなく、発達障害の自分にとっては理解しづらい)が、おそらく似ているんだと思う。
ここで納得したのは、自分が長年抱いてきた違和感についてだった。
例えば、婚活の条件に「店員さんに敬語で話す人」が入る場合が多いこと。自分は、いくら敬語でも店に対して文句ばかり言っていたら迷惑客だし、いくらタメ口でも「ありがとう」とにこやかに言える人は良いお客さんだと思っていた。
自分が接客業に従事していたときも、タメ口で怒鳴る人より、敬語で静かに怒っている人のほうが何十倍も怖かった。
だから、敬語で店に物申してカウンターを占領する来店客が何故カスハラ扱いされずに放任されているのか、すごく疑問で、街に出るたびにそれにこだわっている自分がいた。
この、社会と自分との考え方の違いのルーツは、もしかしたら6歳のときの学校生活にもあるのかもしれないと思った。
「敬語で静かに文句を言う」ことが、幼少期の自分にとって「体罰の予兆」だったのだとしたら、他人の文句を耳にするだけで涙が出たり手が震えたり、はたまた自分がいくら誰かに腹が立ってもそれを表に出さないようにニコニコし続けてしまったりする理由が説明できる。
でも、パニック発作が始まったのはここ数年。少なくとも高校生のときは、理不尽に叱られることなんてたくさんあったけれど、腹が立つだけで終わりにできていたので、対処できなくなったのは本当に最近の話。
パニック発作自体のルーツもわかったら、もっと楽になれるかもしれない。