また夜が来てしまった。何をしていても三浦春馬君のことを思えば胸が苦しくなる。絶対に救われるべき人。神様なんかいなかった。罪は無くても、他の芸能人を見るのは苦痛だった。テレビを拒否した。ネットの心ない声に傷つき続ける日々を過ごした。心は死んでいた。家族連れをみるたびに、春馬君にもそういう未来があったのではないかと思い、胸が苦しくなった。桜なんか見たくなかった。桜と同じように春馬君の美しさを消費した世間を許せなかった。夏も嫌いだ。祭りや商業的なイベント全てが嫌いになった。「春馬君の分も笑って生きよう」そんなことを平気でいう奴らが嫌いだ。自分が笑って生きたいだけだろう。他人事ならせめて黙れ。外に出た
くなかった。明るく前向きで長生きすることが正しいとされる世の中で生きたくなかった。寝たきりになった。誰が結婚しても、幸せになっても他人事だった。怒りや憎しみは薬を飲んでも、増えるばかりだった。どうして春馬君があんな目に遭わなければいけないのだろう。誰がどんな綺麗事を言おうが、誰がどんな素晴らしい物語を作ろうか、無視し拒絶した。受け入れられるものではなかった。一番苦しいのは春馬君なのに。前向きなもの、世の中のすべてが刃として、心をくるしめた。誰も春馬君を救わなかった。世の中のすべてが敵になった。怒りと憎しみで心は痛み、死に続けた。赤毛のアンの前向きさも、傷口に塩を塗るだけだ。早く出家したい。