(感情の赴くまま書きなぐっていたら、想像以上の文量となってしまいました。自分語りだけでなく、わずらわしいであろう持論まで偉そうに語ってますが、吐き出させてください…)
私が「助けて」を言わない、思わない、一切求めなくなったきっかけ。
※すべての占い師さんがこうではないということ。(面識はありませんが自分自身、人に寄り添い、人生が良くなるよう現実的にアドバイスをしている方を『一人だけ』知っているので)
※それでも私個人は恨み、憎悪を抱き、まったく信用していないので、占い師はほぼ全員これに当てはまると考えている、考えを改めるつもりはない、ということ。
※なにより、占い好きさんを否定する気は一切ないということ。
上記を念頭においた上での愚痴と、過去の供養として吐露させてください。
小学生のときから、助けて助けて助けて、とひとりでよく泣いてた。
ターニングポイントとなった、8〜9年くらい前、だったかな。
ある占いアプリに出会った。
それがめちゃくちゃ自分に当たってて、私は頼ってしまった。
というより、あれはもう依存だった。
あの頃の私は、自分は普通の人よりは辛い目にあってるなんて、自意識過剰なことを考えてたから。(もちろん、自分よりも辛い思いをしている人は大勢いる、というのを肝に銘じながら)
いい加減、幸せになりたい、楽になりたい。
そう思ってて、課金しまくってた(苦笑)
私を知ってる人は、「因果応報じゃん」「うっわ、自業自得」「ざまぁwww」って笑うだろうなぁ…。いいよ、笑えよ。
1年くらい、やってたかな。
そりゃ、疑問もあったよ。違和感もあったよ。
でも、余裕がまったくと言っていいほどなかったんだろうね。心底信じきって、のめり込んでたわ。(今振り返ってみても、そんな馬鹿な自分が気持ち悪い🤮)
母が宗教を精神的支柱にしているように。
この頃は宗教は嫌いでも、幽霊とか、スピ系も信じてる側だったかな?(この経験を皮切りに、今はまったく信じてないし、嫌悪感を抱いてる)
依存から脱出したきっかけが、相手側がミスしたんだよね。しかも初歩的ミス(笑)
目が覚めたわぁ。
その後は尖った。私は攻撃的な性格に変わっていった。大切な人以外、全員敵だと、信じて疑わなかった。
しばらくして、気持ちが落ち着いたときには考えも緩和されて。
私が助けたい、手を差し伸べたい人以外は、どうでもよくなった。(だからといって、初対面の人への対応がそっけない、ぞんざい、横暴とかではなく、常識の範囲内での接し方)
その代わり、25歳までに幸せだと思えることが一つでもなかったら、死のうと思った。
なんだかんだ、今はその歳をとうに越して、だらだら生きてるけどね(¯―¯٥)
だけど、よりによってその歳に母からショックな言葉をぶつけられて
(しかも直接いわれたのではなく、母がその時、電話していた相手に私への愚痴(強い言葉)をわざと聞こえるよう吐いた)
以降、心が折れてしまい、立ち直れなくなったが…。(その後もまあ…うん)
世にはびこってる占いなんか、誰にでも当てはまることを言ってるだけ、記述してるだけなんだよなぁ。
誕生日占い、星座占い、血液型占い。
サイトでも何でも、自分に当てはまらない日付や星座のページを1回、端から端まで読んでみ?
ほぼ自分に当てはまる。
だから血液型占いでこうだったから
「じゃあ、あなたはこういう性格なんでしょ、なんだよね」
なんてただの横暴、決めつけなんだよね。
つか、4つしか型がないうえに、海外ではザックリ否定してんじゃん。
無理やり当てはめようとする、今だ日本にはびこる悪しき風習の一つだと私は考えてる。
そのせいで、謎の枠組みに押しこめられて、次第に自分でさえ「○型だから、自分はこうなんだ…」になってしまうんじゃないの?
違うわ!その人の素敵な個性の一つだわ!
てかただの「血液型」だろうに。輸血のときに必要な識別じゃないの?
なのにどうして、いつからこうなった。
こんなちっぽけな枠に対して悲嘆しなくていいんだ。
「え、まだそんなの信じてんすか?」
って言葉でも心のうちでもいいから一蹴してやればいい。
ホント現代にまったく沿ってないコンテンツだよ。
タロット?あれこそデタラメ。
正位置、逆位置?
何とでもとらえられるじゃねぇかよ。あれは人をなめくさってるツールだ。
オーラ、前世?論外。
あなたの感想ですよね?(ひろ○き)
てか、前世で虫だって言われた人が世にいるみたいだが。
虫好きの人に取ってしてみれば悪い気はしないんだろうけど、あれ受け手によっては普通に侮辱だわ。
(私は特定の虫は嫌いで、それ以外はなんとか対応できるけど、だからといってそんなん言われたら良い気分には決してならない)
手相?ただのシワ!
パワーストーンはただの石!
芸能人に対しては、占い師が情報、家族構成、ネタをかき集め、調べあげたこと。相手に対しての印象、性格パターン、立ち振る舞いをいかに研究し、その上でさも当てているような話し方をして(しかも自信ありげに)偉そうに言ってるだけ。
つまるところ、占いはエンタメ。
昔は政治を左右するほどの重要な事柄だったろうが(あれ、今もか?)こんなのただの娯楽。ギャンブルといっしょ。
超能力、霊能力なんか存在しない。私たちが生きている今は、ファンタジーの世界じゃないのだから。
だが、状況や相手によって話は変わる。
運命だのなんだの、宇宙の法則だっけ?
ただのその人の選択、言動、環境によってもたらされた結果なだけだろうに。良いも悪いも、ただそこに残るだけ。
神、仏、波動?なんちゃらパワー?
全部存在しない、人が作った偶像、創作、お遊戯!
先祖はそういったことを食い物にする奴らに利用されただけ。
普通にお仏壇の前や命日、お盆、お墓参りのときのみ手を合わせて、ご冥福を祈るだけでいいじゃん。
ひっどいこと言うけど、亡くなったあとの彼らは何もしない、したくてもできないんだよ。
ねぇ、そんな故人を、奴らは死人に口なしだからって利用してるんだよ。これがどんなに悲しいことか分かる?
自分をダシにされて、お金とられている、騙されている子孫、家族がいるって知ったらさ。
…亡くなってしまったら、知る由もないけど。それこそ無念なんじゃないの?
先祖は感謝を怠ったら罰をあたえるような、心の狭い人たちだったの?そんなわけないでしょう。それとも、あなたは死んだらそうするつもりなの?
お金は汚いもの?
寄付して浄化?しなければならないものなのか?
今を生きてる、残った家族をみてよ。
…まあ、これこそ私の感想だけどさ。
占い師の口八丁手八丁。ニ枚舌。
お金のために、自分の私利私欲のために、デタラメ、調子のいいことを吐く。
占い師は、どれだけ良いようにご高説をたれて、相手をいかに気持ちよくさせるか。
ときに脅すようにして説教しつつ、不安の種を植えつけながら誘導して、どれだけ相手を取り込む、丸め込むか。
占い師は、顧客、リピーターを獲得するための、「話術スキル」が試される職業。
(ズバリいうわよ!がそう。あの人はバックにヤ○ザがいましたし、そもそもやり方が完全にそれでしたが…)
つまり、詐欺だ。
私は
『占い師=詐欺師』
だと考えてる。考えは改めない。
なんて横暴な、極端な、と思わせたでしょう。
どうぞご勝手に、と思われるでしょう。
はい、私の個人的な主張、心に決めたことなので。私こそどうぞご勝手にです。
占いによって救われる、救われている方がいるでしょうから。それはそれで本人が良しとしているでしょうし、私は占い好きさんを否定しません。
そうなんだ、としか思いません。
そもそも、その人が汗水たらして心をすり減らしながら、努力した果てに手に入れたお金。その人が自由に好きなように使うのだから、それも幸せの一種だと思ってる。
たとえ、出会った、会いに行った占い師によって、大切な努力の結晶(お金)と時間をドブに捨てることとなっても。
それに、話題になって楽しいですよね。
だって、私も信じてた時期はありましたし、悪い結果だったら「気をつけよっ!」って心がけることもできる。
だって、誰にでも当てはまる、つまづくことです。
良い結果だったらとしたら、それに対して希望を抱けますし、辛くとも歯を食いしばって生きていけるでしょうから。
そういう慎重になれるアドバイスをくれるときもあるので、一概に否定はできませんし、しません。
私の場合は自業自得だけど、弱っている人、悩みを抱えている人、辛い目にあっている人を食い物にする奴らを決して許さない。なんなら死んでも許さない。
心臓に毛が生えている奴らだろうから、気にもしないだろうがな。
私がこうなってしまった、まずかった最大の原因は。
誰にも相談できない。話せなかったところ。
そこにどんどんつけいれられ、カモにされてしまった。
リアルにちゃんと友人がいたのに、相手の立場を気にしすぎて、頼らないで…愚かだったなぁ。きっと、話くらいは聞いてくれただろうに。
おかげさまで、1つ2つ、たくましくなれましたが。
自分がとても参ってるとき。
家族、友人、仲間が声をかけてくれるのではなく。
心の隙間を狙って忍び寄ってくる、自ら進んでノコノコ泥沼にハマるのは、こういった金の亡者であり、詐欺だったんだ。
みんながみんな、そうではないのだろうけど、残念ながら私はこれに当てはまってしまった。
無駄なプライドもあったせいで、平気なふりをしていた。意味ないのに、馬鹿だなぁ。
自分は大丈夫なんて増上慢になってたのが運のつきだったわ。
学校を卒業して、それぞれの道を歩んでいったことにより、めったに会えなくなった友人が飲み会の場で、気をつけなよ、って忠告してくれたのにね。
飛んで火に入る夏の虫でした。
助けてという言葉は大事だ。辛いときは絶対に叫ぶべきだ。
叫ばなかったことによって、その人が打ちひしがれ、つぶれてしまった方が大問題だ。
だって、その人は誰かにとって、大切な人であり、特別な人なんだから。
もし、この世にいない。何らかの事情があって、そばにいなかったとしても、一人くらいはいるはずなんだ。たとえ過去形だとしても。
人生100年なんていわれてるトチ狂った時代なんだ。今いなくとも、どんな形であれ、これから出会えるはずだ。それは人でなくてもいい、人だけに固執しなくていいんだ。誰かに、何かに必要とされるのも生きがいになるんだから。
このアプリにいる時いっつもヘラッてる、てめぇなんかが綺麗事抜かすなって?
はい、百も承知です。
けど、そんな私に関しては別だ。
私という人間なんかがそれを叫ぶのは傲慢であり、自己中であり、自意識過剰なんだよ。自分の価値を見誤ってた。多く見繕ってた。ゴマ粒くらいに自惚れてた結果からの末路だったんだ。
だから助けてなんて贅沢、言わない、思わない、求めない。それがお似合いだし、本来あるべき私のあり方だった。結局、自分だったんだ。気づくのが遅すぎたけど。
どんな盤面であれ、気づいてもらえる、気づいてなんて、相手に対しての甘えであり、自分だけでなんとかしようとし続けてしまった、私の敗因だ。
愚者は自ら失敗して学ぶんだっけ?
本当にそのとおり。私は愚か者の馬鹿野郎だわ。
けど、考えが変わって良かったと思ってる。
少なくとも占いを一切みなくなったことにより、その分、時間が確保できるようになりましたから。