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わたしさがし2日目。ドスドスくるな(笑) 自立している反面協調性のない人は、うんぬん。自己中だが自分を客観視できており強いメンタルのなんたら。 そうだなー、色々が下手くそで、なんとか小学時代それでももがいて時に他人と楽しくも過ごせて、 やってきた中学からの暗黒時代。 人生2回目があったとしても、あれどうすればよかったのか全然わからない。 うまく立ち回れる自信ない。 いじめられてはないけどほぼぼっちだった。 いじめられていたのは友だち…わりとすぐ不登校になってしまった。 大好きな音楽の吹奏楽部に入ったけど、クラスには誰も同じ部の子がいなくて、クラスでも部活でもグループに入れなかった。 クラス分けも3年間不思議なクラス分け。仲のいい人が少しはいるように配慮されていると聞いたことがあるけど、いないからスタート、一年かけてようやく少し仲良くなれたらクラスがえでまたいないからスタート。 ピアノ弾けるからその関係かなと思ったけど、伴奏候補は他にもいて3年間弾いたこと無かった。おずおず立候補しようとしても出来レースのように他の子が推薦されて先生も「あなたに頼みたい」…私の出番なし。 そんなぼっちを折れないで切り抜けるために当時の私は「間違ってはいない鎧」を身に着けて誰かに依存しなくても歩いていける気持ちをもつことで精一杯だった。 小学校の頃は色んな塾や習い事で学校以外のコミュニティがあったけど、中学に行ってから辞めた関係で社会も狭くなってた。 兄がファンクラブあるような、今で言う学校の一軍男子だったから、その妹ということで注目されたけど、年相応に見えない身長や雰囲気でとっつきくそうな暗い私は悪目立ちしてた。 あまりに無表情が長すぎて、笑うと表情筋が痙攣するほど。 横の人間関係の経験値も激少ない多感な時期。経験値不足、不器用なままその後もズルズル引きずって、今でもイビツなオトナになってしまっている。 一人で大丈夫、一人が楽。 それは一人が好きだったわけではなくて、 それでも折れないように考え抜いて我慢してそうなろうとしていた結果。 不器用なりに、でもよく頑張ってたねって過去の自分を褒めてあげたいな。 親兄弟も「あんたは暗くてやだ」って話もきいてくれなかったもんね。 安心基地はなかったね。 で、それでも過去は過去、今は今なんだよね。なんかもうね、ニンゲンのための学校に入りたい気分(笑) …あー吐き出した!(笑)
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私の人生最後に食べたいものは多分「焼きプリン」だと思う。 こう言っちゃあれだけど、すごく否定されて生きてきた。なにに対しても。好きのこと一つすらも。それは食べ物も例外じゃなかった。 「食べたいものある?」と聞かれ焼きプリンを提案すると一番安いものですら嫌味や小言をチクチク言われた。だから食べたいものすらも言えなかった。 親が離婚して母の方について行って、お小遣いで買った森永の焼きプリン。(余談ですが、親が離婚するまではお小遣いはもらえず、どうしても欲しいときは父親に土下座して頼んでました。母がお小遣い欲しかったら気軽に言うんだよと言ってくれたので少し楽に頼めるようになりました) 幾年ぶり、少なくとも6~7年はたべれていなかった私の大好物。一口食べて涙が溢れました。自分の尊厳や、こころの大事な部分を取り戻せたような、そんな気がして。 それからは泣きながらプリンを食べた。顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、途中で鼻が詰まりながら、涙でしょっぱくなっても止まらず食べた。食べ終わっても涙は止まらなかった。 あれから二年以上経つけど、不定期で焼きプリンを食べる。相変わらず美味しい焼きプリン。 けど、あの時食べた塩辛い焼きプリンの味を私は一生忘れないだろう。
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