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家族関係
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長文になりますごめんなさい仕事をしていないと言うのもありますが、以前の職場で酷い時は手をあげられる事がありました。アザなどの怪我を負う様な事はありませんでしたが、結局「こんな職場で働きたく無い」と言う気持ちが勝り退職。 しかし私の家族は「いくら何でも根性無さ過ぎる」と言って、私の気持ちも理解しようともしませんでした。 現在は面接対策など、一緒に考えてくれる求人サポートサービス?的な人の力を借りながら、今月末に受ける面接にむけて自分なりにはですが頑張っています。 しかし、家族はそんな私の頑張りを認めてくれません。 寧ろ遅すぎる、いつまで休んでいるんだと呆れるしまつ…。 こんな家、さっさと出て行きたい…。でももし出て行くなら一人暮らしをしている方や、実家を出て自立している方にご相談です。 箇条書きになりますが ・仮に家を出るとしたら、何を持っていけばいいですか? ・家を出て行くとしたらやらないといけない事は何でしょうか? 無知で申し訳ありませんが、家を出る際した方がいい事や、しなくてはいけない事など、アドバイスを頂けたと思います。 まだお仕事は決まっていませんが、すぐには無理でもお金が貯まりしだい、いつでも家を出れる様に今のうちに出来る事をしたいと思い書きました。
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本当の母との出逢い毒親の母親からの肉体的、精神的な虐待により僕のメンタルは壊れてしまった。 暫くは投薬治療をしながら仕事をしていたが、疲労感はハンパでは無かったし、免疫力の低下により、発熱などで寝込む事が増えた。 そんな病床の僕を看病してくれたのは飼っていた猫だった。 寝ている僕の枕元に座り、僕が寝返りするとフトンがちゃんとかかっているか、僕の周りをクンクンしながら確認し、問題が無いと元の位置に戻る。 起きて水分を摂れば、飲み終えて床に置いたペットボトルの匂いを嗅ぎ、飲んだ量を確認。納得すると元の位置に戻る。 食欲が無い為、ゼリー飲料を摂りそのまま寝ようとすると、「にゃー」と鳴きながら薬袋を手でトントンする。 トイレに行くと、ベッドで僕の帰りを待ち、戻るのが遅いと大声で鳴く。 ヨロヨロ戻ると「にゃー」と鳴きながらベッドを手で叩く。 僕が通常の生活に戻れるまで回復すると、死んだように眠る。 付きっきりで看病してくれていたようだ。 まるで、愛する子供を見守るように。 ある晩、その子が寝ている僕のお尻をなめていた。もちろんスウェットの上からだが、母猫が自分の子供にする動作だ。 僕は与えられなかった母からの愛情を、猫からもらっていた。 本当なら、子供はこんなに深くて温かい愛情を無条件で受けるものなのか。 愛情に関して無知だった僕は、初めての経験に戸惑ったが、自然と笑顔が生まれた。 産んだイキモノからの虐待。 本当の母からの惜しみ無い愛情。 ***みたいな人生だったけど、 僕は恵まれている方なのかも知れない。
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僕を産んだのは毒親だった「毒親」の言葉を知ったのは最近。 僕の母親は僕を側に置きたがった。 僕が遊びたい盛りでも 「休みの日くらい側で私を手伝いなさい!」 自分は掃除も選択も料理もしない。 手伝いではない、僕を家政婦にしたかった。 そして、 何か気に入らなければ僕を殴る。 小さな身体がぶっ飛ぶくらい殴る。 ぶっ飛んだ僕を蹴り上げ、胸ぐらをつかんで身体を起こし、気が済むまで僕を罵りながら殴った。 僕は抵抗出来ない。 何故なら「母親に抵抗してはならない」という不文律が有ったから。 よその家でも同じだと思っていた。 僕が不出来だから殴られ、罵倒されるのだと思っていた。 母親が体調を崩すと、小学校低学年の僕に看病させた。 「氷枕がぬるい!」 「おかゆが不味い!」 「お前が具合悪い時にあんなにしてやったのに、同じ事が出来ないのか!」 感謝など無かった。 僕の味方は、近所のおばさんや学校の先生だった。 僕は味方されてる自覚は無かったが、なるべく遠ざけてくれていた。 そんな僕も、当たり前に成長する。 暴力は減ったが、罵倒される事が多くなった。 大学に進学し、理論武装を手に入れた僕は、母親の言葉を次々論破し、罵倒される事も減った。 卒業し就いた仕事が楽しくて、母親と顔を合わせる事が減った。 母親は父との離婚を機に遠方に引っ越し、僕にもやっと穏やかな時間が流れ始めた。 しかし、長年の人格否定の影響で僕のメンタルが壊れた。 投薬治療しながら働いたが、結局辞職。 生涯、薬を飲み続ける身体になった。 僕は母親のオモチャでサンドバッグ それ以外には存在理由は無いらしい バカバカしい人生だ。